20世紀の経営の系譜、なんてレポート課題はあいまいすぎるぞ。
一体、どのくらい書けというのだろう。
何ページに及んでも、的確なものなんて書けやしない。
1960年代まで来たが、そろそろはしょりたくなって仕方がない。(ただ、面倒なだけだ。)

経営(マネジメント)というものが、理論家と実践家の両側面から研究され、議論され続けてきたけれども、実際は、「如何に人間は生きていくか」という命題に答えられていないような気がする。

戦後の日本企業は、まだ良心的だった。

理念を企業内で収めるのではなく、広く社会の便益のためと謳った。それは、それでよかったはずだ。

(本をまた読み返していることで、欧米の考え方が入ってきたせいで、悪い方向に進み始めたという、私の考えの理論付けをしてくれるものを発見できたので、今のレポート執筆はあながち時間の無駄にはなっていない。)

1960年代は消費に促された時代であった。顧客という考え方が企業の中心に置かれるようになった。
如何にモノを売るかという戦略が考えられた。マーケティングである。
一方で、もちろん経営における戦略も必死に考えられた。未来は予測でき、計画できるものとされた。

目的のための方法が、目的化されてしまったように思う。

経済が成熟するにつれて、企業人に安心感が漂い始めた時期とも言える。

1970年代のアメリカ企業は元気をなくしてしまっていた。その代わり、日本は高度成長の真っ只中だった。1980年に入って、東を向けといわんばかりに、こぞって日本企業の発展の秘密を知ろうとした。

その秘密とは「ヴィジョン」だった。

おそらく、倫理とか真理とかいった仏教や儒教の考え方がその根底にあったのではないだろうか。東洋人は、そういうものがスキだったのだ。というより、人々を統率していくうえで、必須であったんだろうと思う。

アメリカの戦争のやり方、兵士を如何に動機付けするかという点で、日本とはまったく違うものであることがわかるだろう。(それは今だって違うと思うのだ)

アメリカでいう「愛国心」と、日本でいう「お国のため」っていうのはまったく別物だったんだと思う。

日本は、今になってそういうことを忘れてしまったし、もちろん戦後、お国魂みたいなものはどんどん廃れてしまった。そのくせ、お上(おかみ)意識だけは戦後生まれの人間にも十分根付いたままである。なんなんだろう。

企業理念が大事だよ〜と主張しつつ、結局、現実問題、どれだけ物が売れるか、収益があるか、っつーことがクリアにならなければダメなんである。

難しいなぁ。

結局、マーケティングかよ!ってさぁ・・・

そういわざるを得ない。市場とか製品とかチャネルとか?そんな言葉で、日本の社会は変えられないだろう。

価値をどこに見据えていくか、そうすることで、消費者の意識も変えていけるはずだ!という結論に結び付けたいこのレポート…。

マイカチ、っていいね。>min

人間、そんなものを持てるほど、成熟してないよね・・・現実さ。

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